Soka Spirit

阿部日顕への公開質問状

七〇項目中の六から一〇

(六)また「河辺メモ」の内容が河辺の主観であると言うのならば、ここで阿部信雄が非難している「G」とは、一体誰のことなのか。そして「河辺メモ」における河辺の「主観」とは、内容的にどこが主観的表現にあたるのか。具体的に指摘せよ。さらに、なぜそれが河辺の「主観」と言えるのか。客観的な理由を述べよ。 

一、私が「法主の阿部は、形木本尊を目の前に安置して開眼の祈念を行っていなかった」と断定したことに対し、日顕らは今回、次のごとく全面否定してきた。「日顕上人は御登座以来、御形木御本尊を含む全ての御本尊を丑寅勤行の御宝前にお供えし御開眼されておられるのだ。しかも、未表装・未彫刻の段階で御開眼し、さらに表装・彫刻後にお清めをされるという厳正なものである」(十二月十三日付文書四四頁)。私も、日顕がここまで大ウソをついてくるとは、予想だにしなかった。思えば、法廷の場でも平然とウソをつき、重要な主張をクルクル変更しようが、何ら恥じないような鉄面皮である。さすがは日顕、と恐れ入るしかない。この一点だけでも、日顕は、宗門の全教師から内心で「大ウソツキ者」と笑われるだろう。

私は断言する。私が大石寺に在勤していた時代、丑寅勤行の御宝前に、すべての御形木御本尊の本紙を供える、などということはなかった。ましてや表装後の軸の付いた御形木御本尊のすべてを、「お清め」のために丑寅勤行の御宝前に供えることなど、絶対に有り得ない話である。宗門が創価学会から離れる前、下付される御形木御本尊の数は莫大なものだった。何十万体もの御形木御本尊のすべてを、前後二回も丑寅勤行の御宝前に供えるとなると、これは毎回の搬送作業だけでも空前の大作業である。日顕よ、なぜそこまで子供じみたウソをつくのか。私は要求する。そして問いただす。

(七)日顕が登座してから退座するまでに下付した形木本尊の総数を公表せよ。

(八)その莫大な数の御形木御本尊の本紙を誰がどうやって丑寅勤行の御宝前まで運んだのか。また表装後の御形木御本尊のすべてを丑寅勤行の御宝前まで運び、それを下ろす、という大作業をいかなる手順で行ったのか。

(九)それらの作業は、平均すると何回に一回の割合で、丑寅勤行の折に行われたのか。

(一〇)東京の池袋・法道院から全国の末寺に御形木御本尊を出していた時代、なぜ大石寺の丑寅勤行の御宝前に御形木御本尊を供えて開眼の祈念を行わなかったのか。