第七章:法体相承について
また本尊証得の問題に関連して、いわゆる「法体相承」のことにも触れておく。法体相承とは、五六世・日応が自作した用語である。日応著『弁惑観心抄』では「唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり其の別付とは則ち法体相承にして総付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈付法の大導師と云ふべし」「此の法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり」などと説かれ[xxiii]、金口相承をともなう別付の法体相承こそが真の唯授一人相承である、と主張される。金口相承の方は日応以前の歴代法主も使った伝統用語であり、口頭ないし文献による門流秘伝の三大秘法の伝授を意味することが明らかである。それに対し、金口相承の後に行われる法体相承に関しては、命名者の日応も明確な定義をしておらず、後に様々な解釈を生ずる余地を残したと言える。
例えば、法主の内証の尊厳性を殊更に強調する現在の大石寺宗門は、唯授一人の法体相承を本尊証得の次元で捉え、しかも本来は万人に開かれるはずの本尊証得を法主一人に限定しようとする。彼らの主張は、「唯授一人のご相承を法体相承ともいいますが、この法体相承を受けられるがゆえに、御法主上人のご内証には、日蓮大聖人のご魂魄たる「本尊の体」が具わっているのです」といったものである[xxiv]。ここにみられる、〈法体=日蓮の魂魄=本尊の体〉という論理は、宗門秘伝の人法体一の法体本尊義であって誤りとは言えない。しかしながら、日応のいう「法体相承」を「本尊の体」の授受とすることや、その法体授受を「御法主上人」に限定して考えることは、どうみても解釈的逸脱である。
まず法体相承を「本尊の体」の授受とみる論は、日応のいう法体相承が現実存在としての戒壇本尊の護持継承を指していた、という事実に反している。『弁惑観心抄』の中に「別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」との記述があるように[xxv]、日応は、現実に存在する戒壇本尊が唯授一人で護持継承されてきたことを指して「法体相承」と称したのである。ゆえに、この『弁惑観心抄』の文の直後には、日興が日目に一宗の統治管領を委ねた「日興跡条々事」の中の一条「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を授与す 本門寺に懸け奉るべし」(歴全1-96)が略して引用されている[xxvi]。また補足的に言うと、日応は『法の道』に発表した論文中で「本宗は宗祖大聖人の血脈法脈を継承し宗祖大聖人の大本懐たる本門戒壇の大御本尊を護持し」「彼等の宗派では宗祖大本懐の本門戒壇の大御本尊を護持しないではないか又た宗祖直授相伝の血脈相承がないではないか」「本宗固より宗祖大聖人正統血脈の法系を承継し宗宝の唯一則ち宗祖大本懐本門戒壇の大御本尊を護持し奉る」などと述べている[xxvii]。そこには、血脈相承と本尊護持をもって大石寺宗門の二大偉跡と誇る日応の信念が看取されよう。かかる信念が、『弁惑観心抄』で金口相承(血脈相承)と法体相承(本尊護持)の並列的顕揚という形をとって現れた、とみることは必ずしも不当ではない。さらに日応には、戒壇本尊を師資相承の法体とする大石寺の血脈付法の歴史を、皇室における神器の継承に譬えた言説もみられる[xxviii]。日応のいう法体相承は、天皇家の神器の継承にも譬えられるのであり、その意味はやはり「宗宝の唯一」たる戒壇本尊を護持継承することにあったとみるしかない。
とすれば、日応の法体相承論を用いて法体授受を歴代法主の内証だけに限定することはできない、という道理になろう。そもそも教義上から言えば、法主の意向にかかわらず、三大秘法の本尊を信じて題目を唱えるすべての人に「本尊の体」の証得は可能である。法主が「本尊の体」を独占し、それを書写本尊に分与することで功力が生じ、信者の本尊証得も適う、とするならば、これは非仏教的な発出論、一元的実体論になってしまう。日寛教学に基づくならば、本尊の功力は信者の信力・行力に応じて「一即多」元的に発現するはずであり、それでこそ法界遍満の妙法への信仰たり得るのである。法主の特別性は、本尊証得の独占などではなく、金口相承によって本尊の深義を知り、そこから人々に成仏への正しい信仰環境を提供するところにのみある。しかしその特別性も、すでに論じたように、三大秘法義の理論的公開や本尊相伝書の出版公開などによって、今は実質的に消失しているのである。
ただ、ここで誤解なきよう念記しておくが、日寛教学を採用するかぎり、末法の教主としての日蓮の特別性だけは決して消失しない。日寛教学において、久遠元初の完全なる悟り(境智冥合)の智慧の所持者は日蓮一人に限定されるからである。「当体義抄文段」では、信仰実践の次元から久遠元初の境智冥合が論じられ、「「知」の一字は能証の智、即ちこれ智妙なり。以信代慧の故に、またこれ信心なり」(文段集698)と示されている。日寛は、久遠元初の自受用身が悟った境智冥合の智慧を、日蓮以外の信仰者が得ることは認めない。しかしながら信仰の強さをもって本仏の智慧に代える(以信代慧)ならば、末法の凡夫も境智冥合の成仏が適うと説くのである。
加えて日寛は、「取要抄文段」で無作三身の仏について論じ、そこに三段階の立てわけを示している。すなわち、理論的には一切の衆生は無作三身であるが、実際には無作三身の真仏を信ずる日蓮の弟子檀那こそが無作三身であり、さらに言えば日蓮一人だけが究竟果分の無作三身である、と説いている。
当に知るべし、蓮祖の門弟はこれ無作三身なりと雖も、仍これ因分にして究竟果分の無作三身には非ず。但これ蓮祖上人のみ究竟果分の無作三身なり。若し六即に配せば、一切衆生無作三身とはこれ理即なり。蓮祖門弟無作三身とは中間の四位なり。蓮祖大聖無作三身とは即ちこれ究竟即なり。故に究竟円満の本地無作三身とは、但これ蓮祖大聖人の御事なり(文段集571)。
日寛はここで、顕教の「因分可説・果分不可説」という伝統的立場から無作三身の仏を「因分」と「果分」に分け、説明不可能な仏果の境地の究極である「究竟果分の無作三身」は「但是れ蓮祖聖人のみ」である、と論断している。「究竟」という言葉を多用することにより、日寛は、完全なる了解としての悟りが日蓮一人に限定され、日蓮の門弟はあくまで修行段階(因分)における一分の了解を得るにとどまる、という点を強調したかったのだろう[xxix]。
以上に明らかなごとく、三大秘法義の理論的公開や本尊相伝書の出版公開が法主の特別性を消失せしめると言っても、それが本仏日蓮の特別性の否定につながるとは考えられない。現代の門下僧俗は、本仏日蓮に対する師弟・能所の筋目を修行の原動力としながら、水平的性格を持った信仰実践に励み、究極的には本尊証得を通じて内証面での日蓮との一体化を目指すのである。そこには、真理の平等性と本仏の至高性とが融合した、真の意味での人法体一の信仰世界があるように思われる。
- [xxiii] 前掲、『弁惑観心抄』、二一一、二一二頁。
- [xxiv] 日蓮正宗法義研鑽委員会編『創価学会のいうことはこんなに間違っている』大石寺、二〇〇〇年、一八頁。
- [xxv] 前掲、『弁惑観心抄』、二一二頁。
- [xxvi]「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」という表現の解釈において、「宛てる」の字義は重要である。『広辞苑』第五版(岩波書店、一九九八年、六〇頁)によると、「宛てる」には「(仕事や役目などを)担当させる。割り当てる。指名する。…に向ける」という意味がある。したがって「日興が身に宛て給はる」云々とあるのは、日興が日蓮から護持の役目をその身に担当させられたところの「大御本尊」、という意味にとれる。
- [xxvii]『法の道』日蓮宗富士派法道会、明治三六(一九〇三)年三月、五、六、八頁。
- [xxviii]『法の道』日蓮宗富士派法道会、明治三六(一九〇三)年四月、一七〜一八頁。
- [xxix] 内証面では師弟の一体性を説きながら、修行面では師を本果、弟子を本因に配する、という考え方は、日寛の師の日永にもみられ、門流の伝統的な信仰信条であったように思われる。日永は、金沢信徒の石川儀兵衛に宛てた書状中に「妙法五大が本有常住の五大なり。此常住と我等が五大も体一なりと信心して修行すれば必ず常住不滅の五大に与る。是を大聖人は導師となり、我等は弟子となる故に、弟子は本因妙修行なり。師匠は常住が面に顕す故に本果となる」等と記している(歴全3-362)。