Soka Spirit

断簡9 心を喰らう餓鬼

退転者・稲垣和雄から教団叩きのノウハウを学んだ山崎正友

正本堂建立の意義については、御供養勧募の時には、「実質的な戒壇」(「正本堂御供養趣意書」)とされ、その後においても細井日達管長自ら、正本堂は「本門戒壇の戒壇堂」(昭和四十二年十月四日、甲府・正光寺での細井管長の発言)としていた。

ところが、正本堂竣工直前においてもなお、宗内には田中智学がはびこらせた「国立戒壇」論が根強かった。出家らにとっては、創価学会により正本堂のほとんどが完成されたことも、いま一つ面白くなかったのだろう。宗門は正本堂が竣工する時点で、日蓮大聖人の御遺命たる「本門事の戒壇」と決定することを避けた。

これによって正本堂の意義は、

「現時における事の戒壇」(昭和四十七年四月二十八日の「訓諭」)

「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」(同)

と、未来に最終決定を委ねられた。この変更は、新たな魔の出来を招いた。御供養を集めた名目が当初と違うのは詐欺的行為だとして、昭和四十七年十一月十一日、民音((財)民主音楽協会)職員だった松本勝弥が正本堂御供養金返還訴訟を起こした。東京地裁に提訴されたこの返還訴訟は、昭和五十年十月、第一審、創価学会勝訴。昭和五十一年三月、第二審、創価学会敗訴。昭和五十六年四月、第三審、創価学会全面勝訴となっている。判決が二転するという大変な裁判が展開されたわけだ。

さて、この松本が提訴した当時、その波紋が広がり、創対連(創価学会対策連合協議会)による御供養金返還訴訟の動きが始まる。創対連は、理事長に稲垣和雄、理事には梅沢十四夫、蜜波羅心観、野村力など八名が就いていた。理事長の稲垣は立正佼成会の会員で、立正佼成会の本部職員・中山佳昭らとともに創価学会対策に関わっていた人物だった。この創対連の活動に対し、立正佼成会の庭野欽次郎(教祖・日敬の次男、現在、佼成学園理事長)が五十万円の金を出していた。蜜波羅は真言宗根来派の管長の血筋、野村は日本共産党の現役の支部長であった。

山崎正友は、創対連による御供養金返還訴訟が提訴される前に、創価学会と、創対連の理事長・稲垣、理事・梅沢との和解を成立させる。以降、稲垣、梅沢は山崎の協力者となり、さまざまな情報を山崎に与える。その関係は、山崎の起こした昭和五十五年の創価学会に対する三億円恐喝事件当時、そしてその後も続いていた。

山崎はこの稲垣を使って昭和四十七年十二月より工作を始め、創対連を解散にまで追い込む。その後山崎は、稲垣から立正佼成会の内部情報を聞く。山崎はさらに、稲垣の人脈から社団法人日本宗教放送協会を傘下に置いた。同協会は初代会長が文部大臣の安藤正純、二代目の会長が新日本宗教団体連合会(新宗連)の事務局長・大石秀典。大石は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)時代に宗教団体ににらみをきかせた法務府特別審査局に勤務していた人物である。GHQが引き上げた際には、その威光を利用して新宗連を組織し、立正佼成会、PL教団、生長の家などを加盟させ、自ら事務局長におさまった。これは、GHQの宗教政策を進めたウィリアム・ウッダードの意向を汲んだものである。三代目の会長は、新宗連の発行する『新宗教新聞』編集長だった若山嘉成(本名・和男)。この社団法人日本宗教放送協会の発起人は、神仏基各宗派から出ていた。その後私は、山崎の命令で身分を秘匿して同協会に入り、そこで発行していた『宗教評論』の編集長となり、宗教界およびそれと連携する反創価学会勢力についての情報収集をすることになる。

稲垣はもともと創価学会員で、四年ばかり在籍したのち立正佼成会に移り、対創価学会工作にたずさわった男で、窃盗などの前科もあった。しかし、裏社会を歩いてきただけに、したたか者だった。この男が山崎と麻雀をする時など、さまざまなことを山崎に教えた。稲垣は創対連結成の中心人物であり、創対連を表看板に創価学会を攻撃した際、マスコミ人と接触した経験があった。宗教団体を攻撃するにあたって、マスコミ人にどのようにネタを与え、意のままに操っていくのかなどというノウハウを山崎に伝授したのである。

一例をあげると、

「宗教団体内部からの告発をするには、まず『覆面座談会』か『覆面手記』で気を引き、そのあと実名を明かす。覆面で登場することにより、宗教団体内部に動揺と疑心暗鬼を与え、同調者を誘発する。その上でさらに、実名で同じネタを再びぶつける。こうすれば破壊力も倍化され、一つのネタを二回使うことができる」

といったことである。この手法は、昭和五十五年、山崎が三億円恐喝事件によって逮捕されるのを免れようとし、正義の告発者を装った際、使われることになる。

立正佼成会を分断して新教団を

稲垣は、生命保険、姓名判断、別荘地分譲など、立正佼成会の集金システムについても話した。そこには多くの不正がつきまとっていた。

果ては、教祖・庭野日敬の女性問題に触れた話もあり、その女性の親が、

「日蓮様のお手つきになった」

などと教団内で言いはやし、大騒ぎになったという話(真偽は不明)もあった。山崎は先の話と同様、昭和五十五年の恐喝事件の際に、この話を悪用している。ありもしない池田会長の女性問題を捏造したのは、稲垣から聞いたこの話も一つのヒントになった。私が教えた、PL教団教祖・御木徳近の女性問題についての話も利用した。山崎のそばにいた私には、こうした山崎の手法が実によくわかるのである。

なにしろ山崎は、昭和五十三年初めの時点で私に対し、

「池田会長には女性問題はないな」

と言っていた。その山崎の言い方は、私の耳には残念そうに聞こえた。このことも、私が山崎のもとを去る一要因となった。

ともあれ、稲垣と会ったことにより山崎は、宗教を金を儲けるための人的システムと考えるようになった。山崎の、宗教に関わるそうした心境の変化により、とんでもない事件が引き起こされる。

昭和四十八年、山崎は創対連の活動を背後から支援していた立正佼成会に攻撃をかける。かつて教団ナンバー5に入る立正佼成会東京布教区長・普門館館長という要職にあった荒木健三郎に山崎は目をつけた。

荒木は庭野一族に起きた、ある「色情因縁」の現証(両性具有)に驚き、立正佼成会での活動を停止していた。山崎はその荒木に「明日の立正佼成会を守る会」を結成させ、大聖堂や普門館の建設業者に訴訟を起こさせ、立正佼成会に揺さぶりをかけた。

ある日の夜、山崎と私ともう一名は江ノ島に行った。山崎は江ノ島の防波堤で暗い海を見ながら、私たちに次のように話した。

「立正佼成会を分断して新しい教団を作ろう。若山嘉成を教祖にして稲垣を理事長にするんだ。荒木は教祖に向いていない。分断する道具に使えばいい。その点、若山は羽織、袴に頭巾でもかぶせてみろ、いっぱしの教祖だ。占いをやらせてもうまいものだ。あれだったら信者はつくよ。稲垣は口八丁手八丁で、信者に金を出させるのはうまいぞ」

「創価学会だけが共産党と戦って苦労することはないんだ。どれだけ多くの学会員が、無用の争いに巻き込まれているかわかったものではない。体制側に利用されることはないんだ。学会と共産党との間に新教団を作って緩衝地帯にすればいいんだ。十万も信者がいれば充分だ」

この話の後、江ノ島近くのフランス料理屋に山崎が私たち二人を連れていった。

「フランス料理、食べたことないだろう!」

「ありません」

「今日は、フランス料理で一番おいしいものを食べさせてやる」

出てきたのはエスカルゴだった。この〝デンデン虫〟は、山崎の新教団計画と同様に、不気味なものだった。いずれも消化不良。私たちは、翌日、

「あの〝デンデン虫〟、人間の食べるものか? カキのほうが全然うまい」

と、カキを褒め、新教団については、

「なに考えてるんだろう。アイツの頭、アンモナイト化してるんじゃないか」

と言い合った。アンモナイトは複雑巨大化しすぎて亡びた。私の口から、前夜に食べた〝デンデン虫〟こと「エスカルゴ」の気味の悪い後味が抜けることはなかった。

他方、私は山崎が語った話について、いつものダボラ程度に考えたりもした。しかし、のちに驚いたことには、山崎は創価学会教学部長の原島嵩に、この新教団のための「教義」をすでに発注していたのだった。

本気で新教団を作ろうとしていた山崎

この新教団構想から約一週間後、立正佼成会に対する攻撃は、池田会長の山崎に対する厳しい指導で中止となる。この攻撃は山崎の独断だったのだ。これに対し山崎は、

「弟子に教団の一つくらい持たせられないとは狭量なことだ」

と言い、私をさらに驚かせた。

また、この一件が池田会長にどうしてバレたのかということについて、山崎は相当な執念を持っていた。山崎は原島が、池田会長の耳に入るよう北条浩副会長に密告したと考えたようで、原島のことを口ぎたなく罵倒していた。

「あんな世間知らずの不細工な人間が、四代会長になれるわけがない。あの容貌を見たら、世間の人は、創価学会はよほど異常な人間の集まりだと思うよ。のぼせやがって! いい気になっているが、今に引きずりこんでやるからな」

「俺もチビでハゲだが、アイツほどコンプレックスはひどくない」

「あんな不細工な奴が創価学会の会長になったら、学会は潰れるよ」

そのようなことを話しながらも、一方で、外からの情報が広報室を通して逆流した、という可能性も考えていたようである。

「教祖にしようとした若山の線からバレたかな」

「若山が知り合いのブン屋にしゃべって、広報室に入ったのかな」

などと言い、さらに言葉をつなげて、

「情報戦の前線で、外の人間を盛り上げてうまく使っていこうとしているのに、そんな話を真に受けて怒られたんじゃ、たまんない」

などと、言い訳がましいことを言ったりもした。しかし、のちの行状を見れば、山崎がこの時に新教団を作ろうとしていたのは本気であったと思われる。山崎は稲垣ら宗教ゴロに、完全に感化されてしまったのだ。

稲垣は山崎について、私に語った。

「豪胆に振る舞っているけれども、けっこう神経質だね。で、線が細いね」

稲垣は、部下を装い従順な姿を見せながらも、冷静に山崎を観察していた。稲垣は稲垣で、山崎を存分に利用しようとしていたのである。