「C作戦」の存在を知った創価学会
創価学会側が日顕の謀略「C作戦」について情報を入手したのは、平成二年十二月二十六日夜のことであった。これについては、のちに、日蓮正宗自由通信同盟発行の『地涌』編集長である不破優が、詳細を『「地涌」選集』((株)報恩社刊)の「まえがき」に記している。なお、『地涌』とは、翌平成三年の一月一日より、日蓮正宗の末寺に送られ始めたファックス文書のことである。
「私が日顕宗の『C作戦』(創価学会分離作戦)の存在を知ったのは一九九〇(平成二)年十二月二十六日の午後十時半のことであった。同作戦書には池田先生を放逐し、創価学会を破壊し檀徒化する日顕らの謀略が、タイムスケジュールに基づき書かれていた。もしこれが現実に実行されたならば創価学会は大混乱に陥るであろうと、身の毛もよだつ思いであった。
『C作戦』が作戦書のまま実行されれば、同作戦は一月末頃までには完了する予定であった。(中略)
日顕らは、創価学会に奇襲攻撃をかけ、壊滅させようと謀ったのである。同時にもたらされた情報には、二月には正本堂より奉安殿に戒壇の大御本尊を遷座することも検討されているという内容も含まれていた。
まことにもって許されざるべき大暴挙である。情報を聞きながら怒りが込み上げてきた。何百万人もの信徒が赤誠をもって御供養申し上げた正本堂の意義に就き、日顕はそれを全否定しようとしている。民衆の純真なる信仰心を汲めぬ者が宗教指導者であろうはずがない。断じて戦い、仏意仏勅の団体・創価学会を守護しなくてはならぬ。池田先生を護らねばならぬ。その熱い思いが我が全身に血潮となって流れた。
思い起こせば一九七九(昭和五十四)年四月二十四日、池田先生を勇退に至らしめたときの無念——、その思いを、弟子として二度と味わいたくない。今度こそは必ず勝つ。この『C作戦』の暴挙を全学会員が知れば、当然のことながら池田先生を中心に団結することは間違いない——。
前回は情報の開示不足から後れをとった。このたびはあらゆる情報を公開する必要性を感じた。懸命に戦ってきた創価学会員は、正確な情報を知れば、的確な判断をしてくれるはずだ。それとともに、この難を打ち破るなかで、創価学会員のすべてが創価学会が仏意仏勅の団体であることを確信し、同時に師たる池田先生の仏法上の立場を覚知しなくてはならない。『C作戦』の情報を聞いた直後、私は怒りで体内の血が煮えたぎる思いであったが、これから始まる宗門との全面対決に備え、冷静にそのように考えた。
『C作戦』についての情報をたずさえ創価学会本部に駆けつけたのは、二十七日午前〇時十五分であった。情報の正しさは同日明けておこなわれた日顕宗の宗会で池田先生が『宗規改正』にかこつけ総講頭を実質的に罷免されたことにより裏づけられた。やはり『C作戦』は、そのプログラムどおり進行し始めたのだ。もはや、宗門の謀略に対抗するには、仏子たる創価学会員の総決起しかない。全面衝突は不可避となった」(『「地涌」選集』「まえがき」より抜粋)。
ぎりぎりのタイミングで対処
日蓮正宗の機関誌『大日蓮』(平成三年二月号)には、十二月二十七日に開催された「第百三十臨時宗会」の記事が掲載されている。この時、総監の藤本日潤より、
「しかして、いよいよ開創七百一年の新しい出発を迎えるに当たり、本宗信仰の原点を今一度しっかりと見つめ、本門戒壇の大御本尊と唯授一人血脈法水御所持の御法主上人を根本と仰ぎ、信服(ママ)随従し奉るところに、その本義が存することを常に心肝に染めつつ、信行学に精進し、広布の浄業に邁進しなければならないと存ずる次第です」(『大日蓮』平成三年二月号)
との挨拶があり、「日蓮正宗宗規一部改正の件」の議案が提出されたとしている。この宗規改正は、これまで「百五十八条」の「2」に、
「総講頭の退職した者を名誉総講頭と称する」
とあったものを、
「総講頭の任期は五年とし、総講頭以外の本部の役員の任期は三年とする。
但し、再任を妨げない」
と変更して名誉総講頭職を廃し、新たな項目として、
「4 本部の役員は、辞任または任期満了その他の事由によって欠けたときは、同時にその資格を失う」
との条文を追加している。また、「附則」として、
「2 この宗規変更にともない、従前法華講本部役員の職にあった者は、その資格を失う」
との条文を追加した。この宗規の「改正」によって、実質的に池田名誉会長の総講頭罷免がなされたのである。
さらに、創価学会攻撃をおこなう中で、創価学会より言論をもって反攻された場合を想定し、信徒に対して「除名」「権利停止」「戒告」「訓告」の処分をおこなうことができるとし、その該当事由に、
「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」
との文言を追加した。
この後、日顕ら一党は、翌平成三年一月二日に池田名誉会長が総本山大石寺に、例年どおり登山するのを待ち、「御書一部を贈呈し感謝の意」(当時、日蓮正宗海外部書記の福田毅道がワープロで打った「C作戦」作戦書より抜粋)を形だけ出すことになっていた。これに不満を表せば、「信心がない」との言いがかりをつけようとの魂胆が見え見えである。その上で、
「池田大作氏は、名誉会長の称号のみの人となっていただき」(同)
「第一庶務は解散」(同)
「創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長の指名する僧侶が占める」(同)
「聖教新聞等の学会発行の新聞・雑誌には、今後一切、池田名誉会長に関する記事を掲載することを禁止」(同)
「海外組織については、宗務院海外部の直接指示に従う」(同)
といった条件を突きつけ、その返答の期限を二週間後の一月十五日と定め、その条件を呑めなければ、池田名誉会長の信徒除名処分をしようとしていた。処分はそれにとどまらない。あろうことか、創価学会総体をも破門しようと策定していたのである。
ところが、間一髪のところで創価学会側は、日顕らが秘匿している「C作戦」の存在を探知したのであった。
十二月二十七日、日蓮正宗が池田名誉会長を総講頭より実質的に罷免した後の創価学会側の対応は、全国的規模でなされた。
二十七日夜には緊急本部長会、二十八日には各県区単位で地区部長会、二十九日には地区協議会が開かれ、全国の組織に対し、日蓮正宗のやり方のあくどさが知らされたのであった。
創価学会員に公開された主な内容は、二十七日に総本山大石寺で宗会議員による宗会がおこなわれ、池田名誉会長が日蓮正宗法華講総講頭の職を宗規「改正」により実質的に罷免されたこと、日蓮正宗が創価学会に宛てた十二月十三日付「お尋ね」文書、創価学会側より十二月二十三日付で日蓮正宗に出された返書などだった。この情報公開のために、全国の創価学会の会館のコピー機のみならず、幹部たちの自宅のコピー機までもが総動員され、宗門側の非道なやり方を伝える原資料がコピーされた。すでに仕事納めも終わった時期であったから、コピー用紙を集めるのも大変な苦労であった。コピー作業は連日深夜までなされ、緊急の会議が全国津々浦々でおこなわれた。年末の三日間で全国数百万人の創価学会員に、日顕らの不誠実さが伝えられたのであった。