西山温泉での謀議
日顕が高橋公純の紹介で段勲や押木二郎たちに会った後、平成二年十二月二十五日の午後五時過ぎ、身延山の北北西約二十三キロメートルに位置する山梨県西山温泉の「慶雲館」に、男たちが到着した。男たちとは、反創価学会ライターの内藤国夫、同じく段勲、正信会機関紙『継命』編集長・乙骨正生、そして創価学会元教学部長の原島嵩ら、総勢七名であった。宿の予約は乙骨の名前で取られており、どこの旅館でもそうであるように、玄関に掲げられた黒塗りの板に「乙骨様」と、白い文字で書いてあった。段は大石寺で日顕に「目通り」し、その後、まっすぐこの旅館に向かってきたのだった。
一行はまず、露天風呂に入った。その後、一段落した五時半過ぎ、館内放送が内藤の名を呼び、電話が入っている旨を伝えた。
内藤に電話をかけてきたのは石田次男であった。石田との電話を終えた内藤は、
「日顕さんが、ついに池田大作さんのクビを切ることを決めたってよ。年内にやるらしい。二十八日までは公にするなって、石田さんは言ってた」
と話した。事後、一行は喜び、宴は大いに盛り上がり、さながら前夜祭の体をなした。内藤などは喜びにハメを外しすぎたのか、あるいは常習なのかはわからないが、旅館の女性従業員の尻を触り、物議をかもしたりもした。一行は、
「池田もついに終わった」
と口々にはやした。
午後八時三十分にはスナックに移動し、カラオケを始めた。この時も創価学会に対する宗門側の処分をはやし続けた。
原島は、はしゃいで「津軽海峡冬景色」を歌ったが、日頃歌いつけないのか、あるいは生来の音痴なのか、調子っ外れであった。それでも一行のはしゃぎっぷりは変わらず、新たに入ってきた男性客二人をも誘い、全員で「昴」を歌った。彼らのドンちゃん騒ぎが終わったのは、午後十時を回った頃である。
その後は一転して密談を始め、それは夜半まで続いた。
外は漆黒の闇。黒々とそびえて眼前に迫る山。渓谷にそって吹き降ろしてくる風は身を切るように冷たい。旅館の脇を流れる沢の音が、いっそうの寒さを伝えてくる。昼は晴れていたが、先ほどより空を覆ってきた雲が、いま、低く垂れ始めている。
●翌日はうちそろって久遠寺へ
明けて二十六日朝は、早くから雪が降っていた。昨夜、黒々とそびえていた山々も、今は白一色となった。一行は十時半頃、西山温泉「慶雲館」を出発し、一路、身延山にある日蓮宗の総本山久遠寺に向かった。身延山は雨模様で、到着したのは十一時半。一行は焼香したり、久遠寺の本堂に至る石段を登ったりしながらも談笑が絶えない。
創価学会を破壊することのみが喜びの彼らにとっては、
「日顕が、池田名誉会長を切る」
との急報を得、喜びに絶えない様子だった。
それにしても反創価学会を生業とする者たちが、この時期に日蓮宗久遠寺に参詣したことは、決して単なる偶然とは思えない。